ゆめまに。

(つれづれ)

一人で生きなきゃいけない理由なんてないと思う

ぼくの好きな友達が、一人で生きれるようにならなくちゃいけないから、好きな人にゴールデンウィーク中は会わないようにしなくちゃいけないってツイッターに書いてた。
ぼくは一つもそんなことを考えたことがなかったから、すごい人だなと思った。
一人で生きれるわけがぼくはないと思うし、なによりぼくは誰かと一緒じゃなくちゃ、生きてゆくのは悲しいというか、不謹慎なことが、好きだから、共依存とか。
それに、ぼくもずっと、まあ、一人で生きたいと、うーん、思ってたことはあるんだけれど、全部が連鎖してるから出来ないというよりも傲慢だと思うようになって、だからできるだけ、ひとに良い影響を与えたり、ひとに幸せだと思ってもらえるようになりたいと思った、ぼくはたくさんのひとにお世話になっていると思うから。

あと、ぼくには大好きな人がいるから。
その人と、ずっと一緒にいたいと思うから。誰かと一緒にいたいっていうのは、別に弱さではないと思った。
むしろ、強さなんじゃないかなみたいな。

まあ、ぼくの好きな友達…っていっても、最近全然会ったりしてないんだけれど。その子のこころから思う幸せに、近づいていってほしいなと思った。
強がって、ひとりぼっちで、かたまってしまいたくないなって。
ぼくは、ぼくの好きな人絶対ぜんいん幸せになってってるっていうのを信じてるから、だからあんまり、幸せになれると良いよねとか使いたくない。幸せに絶対なれるから、ぼくの好きな人は、ぼくの好きだと思うひとたちは、絶対しあわせに生きてゆけるから。
だからさ、なんか元気づける時とか言葉に悩む。
大丈夫なのに、信じてもらえない時は悲しい。
だから、だから?
絶対幸せに生きれることを、疑わないような、ぼくと少し似てるような友達が欲しいなって最近思うよ。
思わない友達といて、悲しくなるのは嫌だなーと思うし。信じようとしてくれると、うれしいんだけど。
ぼくが知ってて信じてても、本人が疑うんじゃどーしようもないからね。本音ではしあわせを生きたくないのかな?

まあなんていうかだから。
素直って大事だなっていう…?

最近、少しだけだけど、謝るのってなかなか難しいことなんだなって思うようになったよ。
自分に完全に非がないとしても、歩み寄るためというか。謝るのって、ぼくが無駄にちょっぴりプライドが高いのかもわかんないし、変に謝りまくって自分を下げる行為が死ぬほど嫌いというのもあるかもだけど、ごめんなさいっていうのって結構難しい、というか力がいるよね。
ありがとうはめっちゃ言えてるつもりなんだけど。

そういう素直な気持ちをさ、言葉にするのって基本だけどすごく大切なことなんだなぁって、月並みだけれど、自分で思って、自分の気持ちのある言葉として思えるようになりました。

という話です。

まじアカウント持ちすぎてしまう癖やめたい。ぼくを知ってほしい気持ちがあふれてしまう。

ゴールデンウィーク、お仕事の方もいらっしゃると思いますが、皆さん素敵な時間を過ごしてください。