ゆめまに。

(つれづれ)

ぼくはしらゆきだ

ツイッターは言葉が死ぬのが早いよね、それにべつに命がない言葉が多いよね、

ぼくはよくある〇〇なこと10選みたいなお役立ちブログが書けない
ポジティブなメッセージも流せない
だからだれかを元気づけることもできない
そういう役に立たないブログはべつに需要もないんだけど、ぼくがたまーに、たまーにそうするみたいに、どうしようもない気持ちを検索して、同じ気持ちみたいなやつの言葉を見つけられると安心できるように、誰かにもそういう、なんかもう、この世界にはほとんどないような辛さのかけらを感じて、一人じゃないって思ってもらえたらいいよなとは思う

いろんなsnsをいろんな名前ではじめてやめてを繰り返したぼくが、なんだかんだ唯一5年以上続いてる場所なんだよねここは

暗い記事たくさん消したりもしたけどさ、生身の、本当にこころから出たまんまの生々しいこころの塊がここだと思う

たしか誰かに教えたわけでもないから、誰かのことを気にしなくてもいいし
それが、とてもらく
無責任な言葉の羅列かもしれないけれど、無責任に言葉を吐けないから、だからぼくはここでたぶん息ができる

なんかこうやって、飾らないでぼくの心を解き放ってるような時間が、なんだかんだ一番ぼくらしい気がするし、ぼく自身とても安らぐし、安心する。

人生がわからなくなってしまった。

仄暗い世界は嫌だ。
でも明るいのも嫌だ。

やわらかくて、華やかであったかい世界がいい

なんかもうそれ以外いらない
わがままなのかな

泣きそう

誰にもべつにもう好かれなくてもよいとおもってきた
無理して好かれるのはめんどくさいし、真偽はわからないけど、ぼくのまんまのぼくは、誰かに好かれるようなにんげんじゃないとおもう
それでも好くひとは好くんだろうし、それならそれでまあいいし
なにかを円滑に進めるために気をつかうのは大切なのだろうけど、なんか、そこまでして、誰かと、円滑になりたいのかな
いや、一人は嫌なんだけど、目的がわからなくなってきてしまった

文字の世界って、やっぱり、誰にも侵されない、だから、ぼくは安心するのかな
こういう、人からしたらこのブログは文字にしか見えないだろうけど、ぼくには確固とした世界に見えてるから、それが心地いいんだ、ぼくを拒まない、包んでくれる世界