ゆめまに。

(つれづれ)

にゃー。

‪みんなの創作はちゃんと人と人とが会話をしていて、人と人とが交わっているのに対して、ぼくの創作はいつも一方通行だったり、伝わるはずないっていう悲しさを‬含んでいたりして、なんだか、そーゆーことなのだなぁとおもってしまう。

体感したことしかつくれないのだなーっていうか。

それを変えたいのに、なかなかうまくできずに、どうしてか、性質なのか、とてもじょーずによくたのしくできたあとは、なんだか悲しくなってしまうんだよな。そーして人を巻き込んで、悲しい話をつくってしまうというくせをやめたいんだよね。

人を巻き込むのはあまりに身勝手だしさ、ぼく自身それがさびしいことだとわかっているんだよ。

もう寂しいのはいやで、楽しくなりたいの。

なのに、虚しさとか、悲しさとかが突然顔をだして、ぼくのことを包んでしまうから、ぼくはそれ以外見えなくなってしまう。そのことがもう悲しいの。

どうして抜け出せないんだろうと、振り幅が大きいのはぼくの性質みたいなもので、変えられないのかな?

安定しない気持ちをかかえていることは、けっこーしんどいんだよね。

けど、ずっと安定してしまえば、それは不安定なんだよね。

なんだかぼくの生き方って、とても、とても、変な感じがして、いやだなぁ。

高校二年生の時みたく、変に考えないで、毎日楽しいというのがいいのに。

最近もっぱら高校三年生なんだ。毎日がとてもとても虚しくて、表情もとぼしくて、気持ちが、こころが死んでいて、勉強や仕事をこなすのはそれなりにできるし、むしろ褒められてしまうんだけど、そのことすらなんだか虚しくて、あーなにやってるんだろーって、具体的に変われる方法も、刺激の作り方もわからないで、このまま高校三年生のときみたいに一年間を無為に過ごしてしまうことが怖いんだよね。

いやなんだ、とても、すごく。

同じクラスにいた、毎日が、平凡で楽しそうな子たちが、どこかでつんってしてたけど、でもとても羨ましかったし、仲間に入れてほしかった。

こんなふうになりたいって、そんなふうになれたらって、思ったりする。

のに、なぁ。。、

あの子たちが太陽なんだとしたら、ぼくは太陽にはなれない気がしたけど、せめて月くらいにはなりたい。

人を巻き込む力はないよ。

中心に立ってみて、みんなを巻き込んでみるのはそれはそれはとても楽しかったけれどさ、すぐ怖くなってしまうんだよな。

あぁなんて、生きづらいのだろうね。

毎日を楽しくしたいのに。

どこかで、悲しさを捨てきれない自分がいるのも、確かな気がするんだよね。

だから、変わらないんじゃないか。

悲しさね……たしかにぼくの好きな感情だよ?

でもさ、そればかりではしんどいよ。

ほんとうはあたたかいはずのものまで、ちゃんと自分の目で見ないで悲しさで覆ってしまうのは、とても失礼だし、おろかだよ。逃げてるだけだもん。

向き合うことから逃げてるだけだもん。

もっと人とちゃんと接したい。

うまくできてたことが、悲しさと虚しさに覆われて、変な壁を作り上げて、そーやって不自然に、できなくなってしまう自分がなんだかとても嫌。

生きるのとても難しいな。

1日でいいから、堂々巡りで、わかるはずもない相手のことをぐるぐる考えて、なにが適切か判断してしまうような考えること…を、の、ちから的なものを封印してほしい。きっとそしたら、とても楽しいだろうなと思う。なにが妨げているかわかっているくせに変えることができないのは、どこかで怖がってしまっているからだろうな。

君だったら、傷ついたって構わないと思っているのに。

なんでだろう、どこかでたぶん、嫌われてしまうのを怖がっているのだろうな。好かれようとしすぎているのだろうな。あーやだやだ!わかるけどさ!そんなハリボテ作ったって寂しいだけじゃんね。

立ち直れないくらい傷つく覚悟だってあると思ってたのに、怖がってんだなぁ。

ぼくがぼくのこーゆー性質とかを、どこかで、ダメだ、もっと明るくならなきゃ、みたいに否定してるから、相手も否定するだろうとか考えてしまって、壁を作ってしまうのだろうな。なんで愚かなんだ。自分のことしかまるで見ていないじゃないか悲しい。。。

やっぱりあれですね、自分を認めて受け入れることがいかに大切かだよね。

それで自分ばっか見るのもどーかと思うけど、ほんとにそれが出来なきゃ、誰のこともさ、ね。

 

ってことよ。

いまがどーなのかわかんないけど、寂しいのは嫌だから、平凡になりたい。

…といいつつ、特別でありたいって気持ちも根強くあるんでむずかしいよね。明るい方向で特別でありたいよ。

せめて月でありたい。

 

ねむい。おやすみ。